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2009年11月20日 (金)

うどん屋

冬の落語は芝浜、富久、ねずみ穴色々とあるが、今回は食べ物系の話題。
食べ物系だと、「時そば」、「うどん屋」が浮かぶ。
「時そば」は、江戸時代の噺でこの時代の屋台の蕎麦は夜鷹蕎麦とも呼ばれていた。
「できます物は花巻にしっぽく」という台詞がある。
花巻とは、かけそばに浅草海苔を乗せたものだという。
しっぽくは、しっぽくうどんが蕎麦に代わったのだろう。鶏肉やその土地の野菜等を煮込んで蕎麦に乗せたものだが、落語を聞く限りでは屋台となると竹輪か竹輪麸のようだ。
思うに、昔の時代の屋台である。ぼてふりなのでできるだけ軽くて傷みにくい具がいいだろう。
となると、乾燥した浅草海苔はもちろんだが、竹輪よりは竹輪麸を使っていた店が多かっただろう。

さて、「うどん屋」だが、この落語に出てくるうどんとは鍋焼きうどんだ。
焼きうどんはうどんを焼くが、鍋焼きうどんはうどんを焼かない。なのにどうしてこの名前がついたのかは今回は置いときますよ。
鍋焼きうどんを調べたら幕末に大阪で発生したらしい。
江戸(東京)へは明治時代なってから入ってきて、屋台が始まったのは明治7~8年ということだ。
そして明治13年には大ブレークして、夜鷹蕎麦屋は壊滅状態になったらしい。
なので、江戸前の「うどん屋」という落語は、明治に入ってからの作品ということになる。
今の鍋焼きうどんの具は、えび天、玉子、ネギ、蒲鉾、椎茸がポピュラーなところか。
当時の鍋焼きうどんとはどんな代物だったのだろうか。
資料が殆ど見つからなかった。が、かけうどんに近い物だという情報が辛うじてあった。
落語を見ていると食べる所作で、うどんの他に何か具を食べているような仕種をすることがある。
なのでしっぽく並の竹輪麸くらいは入っていたのかもしれない。
どうして蕎麦喰いの江戸っ子が夜鷹蕎麦を捨てて、皆鍋焼きうどんに走ったのか。
これが疑問になる。
江戸は火事の街。特に冬は乾燥しているのでよほどの注意が必要だ。
屋台の火種もそうとう規制が厳しかったのではないか。
そのせいか、夜鷹蕎麦の火種は火力が弱くて汁はぬるかったらしい。
それに引き替え、土鍋で煮込む鍋焼きうどんは冷めにくくて、冬にはもってこいの料理だったようだ。
これが人気の秘密だ。
落語の所作でも最初はアツアツの汁をフーフーしてすすり、うどんも小量ずつ火傷しないように食べる。
次第に冷めてくると、食べる速さ(量)が早くなる。
最後は汁まで飲み干せる熱さになる。
そして熱いもの恒例の鼻水をすすったりもする。
こうした一連の所作がこの落語の一つの見どころ。
ヒロクンはだいたいこの辺でおなかが鳴る仕様になっているんだ(笑)
「時蕎麦」の食べる所作は、ここまで熱そうにはやらない。
蕎麦なんか一気にすすっちゃう。
やはり当時の鍋焼きうどんは熱かったのだろう。

今回は落語に見る屋台の蕎麦とうどんについてでした。

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